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レオナルド・ダ・ビンチとキリスト教

「ダ・ビンチコード」のレオナルド・ダ・ビンチ(1452〜1519)は日本でいえば室町時代(1338頃〜1573頃)の人です。絵画でいえば「モナリザ」で有名ですが、ダ・ビンチの絵画のモチーフは宗教に関連したものが多いようです。 スポンサーが教会や貴族であったとしても、絵画のなかに思想を盛り込むのが芸術絵画です。「モナリザ」の背景に森や山河が描かれていますが、ダ・ビンチ以前にはなかったようで、ダ・ビンチが取り入れたようです。これについて「科学から芸術へ」 では東洋の道教の影響を受けたのではないかとしています。東洋では、山河に神仙が住むと考えたのです。
  「ダ・ビンチコード」では、キリストに関する伝説がテーマとなっています。キリストに関する伝説では 「ダ・ビンチコード」のテーマになった「聖杯伝説」があります。旧来の「聖杯伝説」は「イエスと弟子たちの最後の晩餐に使われたものと信じられている聖杯」と「十字架上のイエスの血を受けたもの」がありました。聖杯伝説はキリスト教の教義とは別に、むしろ騎士伝説として伝わりました.この聖杯の意味を女性=イエスの血脈としたのが 「ダ・ビンチコード」のテーマになった「聖杯伝説」です。「ダ・ビンチコード」は小説ですが、元になった図書はマーガレット・スターバード の マグダラのマリアと聖杯 です。キリストの伝説には、「ロンギヌスの槍」というのがあります。十字架にかかかったイエスをさした槍です。これをもつ者は世界を制するといわれました。こうした伝説は、われわれ日本人からみると現実の日常生活とは縁のない単なる伝説と考えますが、聖杯もロンギヌスの槍もヒトラーが探したといわれますから、ヨーロッパでは現実的な意味合いもあるのかもしれません。
  キリスト教が日常に深く浸透しているヨーロッパの感覚はわれわれ日本人にはわかりにくいものです。たとえばDVDのダ・ヴィンチ・コード・デコーデッドをみてますと、自称イエスの使徒パウロは英語読みで「ポール」といっています。「ポール」といえば、有名人ではビートルズのポール・マッカートニーや音楽家のポール・モーリアなどいますので、現代でも日常的に使っている名前です。仏教でいえば、仏陀釈迦の弟子の名前をつけて、弟子のように生きるということなのでしょうか。日本でのキリスト教は独特のニュアンスがあるようです。聖書の日本語―翻訳の歴史 日本語になったキリスト教のことば をみると翻訳の歴史が感じられます。
  ムー 2006年 05月号 によると、この 自称イエスの使徒パウロは当初のイエスの教えとは反対の「イエスは神であって、 全人類の罪をあがなうために十字架上で死んだ という教義を信じればだれでも救われる」というイエスを処刑し、イエスの信徒を迫害してきたものには都合のいい説を広めていったようです。イエスにあったこともないパウロの教えがひろまり、新約聖書にも強く影響してるため、本来の使徒の活動やイエスの教えといったものがわかりにくくなっています。それゆえ、人間としてのイエスがどのような人物なのか探ることはむずかしいようで、いろいろな説がでています。映画パッションに描かれたのが新約聖書のものがたりですが、宗教的な部分をのぞいて、革命家的な人間イエスを描いた小説がイエス・キリスト失われた物語―聖書が書かなかった生と死の真実 です。もっと考古学的に真実を知ろうとしているのがイエスの王朝 一族の秘められた歴史 ですが、少し難解です。さらに、裏切り者とされていたユダの真実とされているのが、原典 ユダの福音書 で解説する本がいくつかでています。
  パウロの教えに影響されている現在のカトリックの信者の人から見れば、イエスに子どもがいることは耐えがたいことかもしれません。マーガレット・スターバード の マグダラのマリアと聖杯によれば、ダビデとソロモン王の神聖なユダヤ王朝復活をも目的としていたイエスの行動だったのではないでしょか。近代まで、国家や民族は一家族で統治され、血脈が重視されました。日本の皇室の継承問題が話題になりました。ムー 2006年 05月号にあるように、母親マリアもイエスもユダヤの文化と血脈を受けた超エリートなら、当然ですね。マーガレット・スターバード の マグダラのマリアと聖杯によればマグダラのマリヤがイエスに高価な香油をかける行為は、従来女性が求愛する行為などといわれていましたが、王に嫁ぐことを承諾する行為のようです。仏陀釈迦牟尼も出家をする前に跡取をのこしたといわれます。
  しかし、イエスの目的がグノーシスの教義にのこされたように、仏教の悟りのように修行によりそれぞれの己が神聖をみいだすことにあるとすならば、出家することもなくマグダラのマリアと関係することは修行者としては矛盾していたとおもいます。原典 ユダの福音書 ではユダが裏切ることをイエスが指示したとされています。仏陀釈迦牟尼とくらべますと、後世には釈迦の悟りや悟りのきっかけを作ったスジャータなどの説話がのこっていますが仏陀釈迦牟尼の血脈がことさら重要視されたり、母マーヤが仏陀釈迦牟尼と同等の聖人になることもありません。
  イエスのそれぞれの神聖をみいだす教えは、当時の血脈や婚姻関係による家族などの価値観の強いユダヤの世界ではなかなか受け入れられなかったのではないでしょうか。いわゆる出家することができなかったのではとおもわれます。その苦悩が「処刑→再生→血脈や婚姻関係による価値観からの分離」を試みたと思われます。(2005年)