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トゥールーズ=ロートレックと浮世絵・・・ ポスターに落款?

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)(1864〜1901)は、キリスト教異端のカタリ派の拠点として知られる南仏のアルビでフランスの名門貴族の子息として生まれました.現在アルビにはトゥールーズ=ロートレック美術館があります。生まれながら病弱だった彼は、14歳の時に両足を骨折したのが原因で下半身の成長が止まり、障害者となります。病床についていた間に絵画に興味をおぼえ、18歳でパリに出て絵画を学び、画家のゴッホやドガらと親交を深めるが、自分の生い立った貴族社会の煩わしさと障害者に対する世間の偏見と嘲笑に反感を抱き、カフェや娼館などに出入りし、パリの風俗を描いたポスターが注目されるが、名声を得るにつれアルコールなどで荒れた生活を送り、36歳で他界しています。
  トゥールーズ=ロートレックは31点の石版画のポスターをのこしていますがそこには、研究に没頭していた日本の浮世絵の影響が強くでています。むしろ、ピエール・ボナールにその技法を学んだ石版画の技法と浮世絵研究の結果としてこのポスターができたといってもよいのではないでしょうか。
  パリにでてきた トゥールーズ=ロートレックはコルモンのアトリエで絵を学んでいました。このときゴッホと彼の弟テオとあったのです。テオは画商グービル商会の支配人をしていました。グービル商会は1890年に画廊で浮世絵の展示をしています。このとき支配人だった彼の子供のころの親友モーリス・ジョワイヤンと展示会を手伝っています。
  当時のフランスは「ジャポニスム」の浪がおしよせていました。「ジャポニスム」とは日本主義のことです。1850年代からヨーロッパに日本の芸術品が入ってくると、コレクターにも、アーティストからも注目をあつめました。そして、1867年パリ万国博覧会にはたくさん日本の芸術品が出品されました。
  トゥールーズ=ロートレックは浮世絵とであってから、 コルモンの絵の技法を学習するのをやめ、浮世絵という新しい「絵画」の研究に没頭するようになりました。彼の浮世絵に対する姿勢は、ロートレックの友人であるモーリス・ジョワイヤンが次のように述べています。「トゥールーズ=ロートレックはモンマルトル大通り19番の半地階で織りなされる全ての事に常に熱心に立ち会い、貪欲に学ぼうとしていた。現在はパリ国立図書館所蔵のテオドール・デュレの日本の浮世絵と絵本の素晴らしい収集品が委託されたときは、何昼夜もかけてそれを整理し、北斎や歌麿、清長や春信の作品についての知識を仕入れ、彼等の落款を読みとれるように覚えたり、書いたりしたものだった。」「浮世絵を研究するうちに、ロートレックは、黄色と緑と空刷りを施した灰色の織りなす調和が絶妙な鳥居派と春信、もっと多彩で複雑な清長、歌麿、栄之の初刷りから学んだ。ロートッレクは歌麿の吉原の絵本に特に傾倒していた。そこには青と薔薇色と緑の洗練された色階の全てがあった。その色調には言い得て妙な、詩的な名称がついていた。茄子の白。魚の腹の白。薔薇色の雪。桃花雪。青みがかった雪。桃花月。海老緑。玉葱の芯の緑。緑茶。蟹緑。濃い青は空の黒という。」
  また トゥールーズ=ロートレックは日本の根付、掛け物や多数の集めていたとジョワイヤンが述べています。また日本から墨と筆を取り寄せたり、葛飾北斎や喜多川歌麿の署名入りの浮世絵などをもっていました。
  トゥールーズ=ロートレックのポスターと浮世絵にはさまざまな共通点があります。このポスターは石版画ですが、浮世絵は木版画です。ポスターのモチーフはダンサーなどですが、浮世絵では役者を題材とした「役者絵」があります。また、陰影をつかわないのも浮世絵独特の技法です。立体を表現するのに陰影をつかわず、線のみにて表現します。そして、色です。初期の浮世絵、鳥居派から歌麿にかけて使われている色の数もすくなかったのですが、ポスターに使われている色はこのころの配色とよくにています。

浮世絵の落款、極印、改印

 トゥールーズ=ロートレックのポスターのサインをみると右と左のの二種類がみられます。

 左のはToulouse- LautrecのTと-Lautrecとなっています。

 右のは丸の中にTとハイフォン-とLにみえます。
 浮世絵には絵師の名前の入った落款、彫り師の名前が入ったものもあります。
落款の他に、版元印と極印(きわめいん)、改印(あらためいん)があります。いずれも幕府の検閲したしるしとして使われたもので、年代を決めるのに有効です。1791年から1842年まで「極」という字をつかったので、極印といいました。1843年からは検閲をつとめる町役人の「行事名主」の姓をつかったのも、1852年からは年月の入ったもの、1853年からは「改」という字をつかったものを組み合わせて明治8年(1875年)まで使っていました。落款や版元印などに楕円形の中に文字がかかれたものがありますが、トゥールーズ=ロートレックのポスターの丸の中にTとハイフォン-とLは改印に近いのではないでしょうか。

極印 改印(改という字と年月)  改印(行事名主印2つ)

 改印(上が改の文字下が年月)  版元印(海老屋 林之助・海寿堂)

落款   三代 歌川豊国  歌川国芳   豊原国周

 上 が改、中「二代歌川国貞(香蝶楼)」右下改め印の年月(巳年正月)

  左下版元印(蔦屋吉蔵・紅英堂)