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信濃大町に伝わる静御前伝説

 

 静御前の墓

 大町市史(民俗編)より 
  源氏が平氏をほろぼして後、源義経は兄頼友におわれ奥州平泉にいった。
  義経の妻静御前は、母の磯の禅尼と侍女をともなって、京都吉野から義経をおっては るばる奥州へと旅立ちました。
  途中松本付近で「奥州はどこか」と尋ねたところ、地元民は「それはもうすぐその先 仁科の里の東山中にある」

  とおしえた。

  それは現在の美麻村大塩を奥州と聞き違えてのことでありました。
  途中、現在の大町市社(やしろ)松崎にある薬師寺にたちより、 大塩に向かう途中、 鷹狩山の山腹の乗越(のっこ

  し)近くまできたとき、のどがかわいたので「もう一ぺん 水のみたい」と杖をつき立てると、そこからきよらかな

  水がわいた 。

  この泉をいまで は「いっぺん水」といいます。
   大塩にたどりつき、ここが奥州でないとわかったため落胆した静御前は薬師寺までもどりちから尽きたとのことです。

  この薬師寺に静御前のお墓があります。

  大塩には静御前の杖が根付いたとされる「静の桜」があります。
  また、大町市の借馬(かるま)の公民館の近くの旧道沿いには母の磯の禅尼の供養の碑などがあります。

  大町市社地区松崎の牛立山薬師寺。
  大塩が奥州でないと知って落胆した静御前は農具川のたもと「うしため」でこの世をさったとされています。

 

静御前の供養塔
観融院静圓妙止大姉」文治五巳酉九月二十三日の文字が
牛立山薬師寺

 

磯の禅尼の墓

  表(左) 裏(右)

 

借馬地区の公民館近くの旧道(塩の道)には磯の禅尼の墓と呼ばれる碑があります。
「頓室妙悟比丘尼」文治五巳酉十一月十六日の文字が

静御前にまつわる植物

静御前の杖桜借馬の旧道ばたにあった桜の大木 借馬の桜ともよばれ、現在のは何代目かの孫桜
  静御前の杖いちょう社地区常光寺の民家にあります。
などがあります。

 

大町市の旧美麻村の静の桜

 

 

静御前のさした杖が桜の木となったといわれている「静の桜」を中心として「静の桜公園」という小さな公園になっています。薬師堂や八画絵巻堂があります。
八つの章からなる八画絵巻堂は、静御前の 生涯を幻想的に描いたレリーフを納めてあります。

 

 

 

 

 

 インターネットにある各地の静御前伝説

 

埼玉県 北葛飾郡栗橋町 静御前の墓 以前光了寺というお寺があった場所。 光了寺の過去帳には、静の戒名として「巌松院殿義 静妙源大姉」が残されている。文治五年(1189)九月十五日になくなったとされている。
香川県大川郡長尾町 静御前の墓 長尾寺には「静御前得度乃寺」の標柱があり、常行堂に「宥心法尼位」と刻まれた位牌があり、10月13日が静御前の命日になっている。町内には静屋敷跡などがあり、母磯の禅師と住んでいたといわれる。
兵庫県津名郡津名町
(淡路島)
静御前の墓 義経の墓もあり、あたりは「静の里公園」となている。資料館や茶室、日本庭園などが整備されている。町内には静御前が舞を舞うときの「扇」をイメージしてた外観のデザインをもつ「しづかホール」などがある。
新潟県栃尾市 静御前の墓 栃堀にある高徳寺というお寺にある。
香川県木田郡三木町 静御前の墓 建久2年(1191)12月20日母が転落して68才で死亡し、静は翌3年3月14日下女琴柱に見取られて24才で生涯を閉じた。母の墓は井戸川橋の東側にあり、静の墓は三木町下高岡の願勝寺と、三木町井戸鍛冶池西堤防の側にあり、琴柱もこの横に眠っている。
京都府竹野郡網野町磯 静神社 静御前の生まれ故郷
福島県郡山市 静御前堂 文治5年(1189)3月28日22歳の春「美人ヶ池」に身を沈めたとされている。